今朝、仕事へ出かけてしばらくしてから気づきました。
「あっ、スマホ忘れた」
普段なら、かなり焦るところです。
連絡が来ていたらどうしよう。
何か調べたいことが出てきたら困るな。
休憩時間にSNSも見られない。
最初は、そんなことが頭に浮かびました。
でも、取りに戻るわけにもいかず、そのまま一日スマホなしで過ごすことになりました。
ところが夕方になって振り返ってみると、
「スマホがなくて困った」よりも、「スマホがなくて良かった」
という気持ちのほうが強くなっていました。
いちばん大きかったのは、仕事の休憩時間です。
休憩しているつもりで、頭は休んでいなかった
普段、休憩時間になると何となくスマホを手に取ります。
SNSを開く。
通知を見る。
ニュースを見る。
コメントが来ていないか確認する。
発信のネタになりそうなものを探す。
私の場合は、noteやSubstack、stand.fmなどで発信しているので、なおさらスマホを見る時間が長くなっています。
自分では、それを「休憩」だと思っていました。
でも今日、スマホがなかったことでふと思いました。
あれは本当に休憩だったのだろうか、と。
体は椅子に座っていても、頭の中には次々と情報が入ってくる。
文章を読む。
画像を見る。
誰かの発信を見て、また別のことを考える。
次の投稿について考える。
椅子には座っていても、頭の中はずっと何かを追いかけていたのかもしれません。
何もしないだけで、休憩はずいぶん違った
今日はスマホがありません。
通知も来ない。
SNSも開けない。
見るものがないので、休憩時間はただ休むしかありませんでした。
椅子に座る。
周りを見る。
飲み物を飲む。
少しぼーっとする。
たったそれだけです。
でも、不思議なくらい落ち着きました。
「休憩って、本来こういう時間だったのかもしれない」
そんなことを思いました。
何も入れない。
何も探さない。
何かを生み出そうともしない。
ただ少し、頭を空けておく。
そして面白いことに、今日この記事を書こうと思ったきっかけも、
「スマホがなかった時間」から生まれました。
何もインプットしていなかった時間から、逆に一つの気づきが出てきたわけです。
発信していると、つい「何かネタはないかな」と常にアンテナを張ってしまいます。
日常の中から気づきを拾えるようになったのは、発信を始めて良かったことの一つです。
でも、アンテナをずっと立てっぱなしにしていたら疲れてしまいます。
時には何も探さない。
何も発信しない。
何もインプットしない。
そんな時間があるからこそ、また新しいものが入ってくる余白ができるのかもしれません。
スマホをやめる必要はない
もちろん、私はスマホを否定するつもりはありません。
今の私にとって、スマホはなくてはならない道具です。
調べ物もできるし、発信もできる。
人ともつながれます。
だから、スマホを捨てようとか、SNSをやめようという話ではありません。
今日気づいたのは、もっと小さなことです。
休憩するときまで、ずっとスマホを見なくてもいい。
スマホやパソコンなどのデジタル機器から、意識的に少し離れることを「デジタルデトックス」と呼ぶことがあります。
でも、一日中スマホを使わないような大げさなことをしなくてもいいと思います。
例えば、
昼休みの30分だけスマホを見ない。
食事中はカバンに入れておく。
寝る前の30分は画面を見ない。
散歩中は触らない。
そのくらいなら、できそうです。
今日の私は、偶然スマホを忘れたことで、半ば強制的にそんな時間を過ごしました。
そのおかげで、
「情報を入れない時間も必要なんだ」
という、とても当たり前のことを思い出せました。
次の休憩だけ、スマホを置いてみる
朝は、
「やってしまった」
と思ったスマホ忘れ。
でも一日が終わる頃には、
「忘れてよかったかもしれない」
と思っていました。
便利なものが一つなくなっただけで、時間の流れが少しゆっくりになりました。
そして何より、
「何もしないことも、立派な休憩なんだ」
と気づきました。
スマホを捨てる必要はありません。
便利さを手放す必要もありません。
ただ、もし最近スマホに追われているような感覚があるなら、
まずは次の休憩時間だけでも、スマホをポケットやカバンにしまってみる。
何も読まない。
何も探さない。
ただ、ぼーっとしてみる。
それだけでも、いつもの休憩が少し違って感じられるかもしれません。
スマホを置いた時間から、思いがけず一つの記事が生まれました。
これからも、日常の中で立ち止まって気づいたことを言葉にしていきます。
次の記事も読んでみたい方は、ぜひ登録しておいてください。




ついつい時間があれば触ってしまうので、今日はスマホを置いて少し休憩してみようと思えました🥹