神社で手を合わせる。
お墓の前で、近況や決意を報告する。
夏祭りで、地域のみんなが歌い、踊り、喜びを分かち合う。
これまで私は、それぞれ別のものだと思っていました。
ところが「予祝」について考えるうちに、これらには、
望む未来を思い描き、自分の心を整え、今日の行動へつなげる
という共通点があるように思えてきました。
予祝とは、まだ実現していない未来を、先に喜び、祝うことです。
「夢が叶いますように」と願うだけでなく、
「夢が叶いました。ありがとうございます」
と、実現した場面を具体的に思い描く。
現代でいうヴィジュアライゼーションに近い考え方です。
今回は、水曜日の「日本の叡智」として、予祝から見えてきた日本人の祈りと行動について考えてみます。
予祝は、豊作を先に祝う農耕儀礼だった
日本の予祝は、もともと農耕と深く結びついていました。
農作業が始まる前に、田起こし、種まき、田植え、稲刈りなどを模擬的に演じ、その年の豊作を願います。
まだ稲が実っていない段階で、豊かな収穫の姿を先に表現したのです。
ただし、先に祝うだけでお米が実るわけではありません。
そのあとには、田を耕し、苗を育て、収穫まで手をかける現実の仕事が待っています。
昔の人々にとって、未来を先に祝うことと、今日やるべきことに取り組むことは、最初から一つだったのでしょう。
未来を先に演じる文化は、世界にもある
望む未来の状態を先に演じたり、象徴的に表現したりする儀礼は、日本だけのものではありません。
世界各地にも、雨や豊作、勝利や子孫繁栄を願い、望む結果に似た動作を先に行う文化があります。
未来を先に表現する発想は、人類に広く見られる祈りの形なのです。
では、何が日本らしいのでしょうか。
日本の予祝は、稲作や季節の移り変わり、地域の協力と結びついて育ってきました。
お米は一人では作れません。
太陽、雨、水、土、そして地域の人たちの力があって、ようやく実りを迎えます。
まだ何も実っていないときから、みんなで豊かな未来を思い描き、その喜びを共有する。
そこに、「おかげさま」や自然と共に生きる、日本らしい予祝の姿があるように思います。
予祝は、昔のヴィジュアライゼーション
現代の言葉に置き換えると、予祝はヴィジュアライゼーションに近いのかもしれません。
ただ「成功したい」と願うのではなく、
どこにいるのか。
誰と一緒にいるのか。
どんな言葉をかけられているのか。
そのとき、どんな気持ちになっているのか。
そこまで具体的に思い描き、未来の喜びを先に感じてみます。
「本当にそうなったら、どれほどうれしいだろう」
その感情が、
「そこへ向かって進んでみたい」
「今日できることを始めよう」
というモチベーションにつながります。
ただし、完成した未来を思い描くだけで終わってはいけません。
その未来へ向かって、少しずつ行動している自分も思い描く。
予祝は、何もしなくても願いを叶えてくれる魔法ではありません。
未来の喜びを、今日を動かす力へ変える知恵です。
神社参拝は、決意を確かめる時間
この考え方は、神社への参拝にも通じるように思います。
私たちは神社で、
「夢が叶いますように」
「健康で過ごせますように」
と願います。
しかし、神様にお願いして終わるのではなく、
「その未来へ向かって、私はできることを始めます」
と、自分の決意を確かめる。
神社は、願いを神様に丸投げする場所ではなく、自分の心を整え、進む方向を確認する場所でもあるのかもしれません。
願いを言葉にすると、意識が変わります。
意識が変われば、必要な情報や機会に気づきやすくなり、日々の行動も変わっていきます。
お墓参りは、自分の原点に戻る時間
お墓参りも、同じではないでしょうか。
お墓の前で、
「今、こんなことに挑戦しています」
「うまくいかないこともありますが、もう少し頑張ります」
と報告する。
そこでは、願い事だけでなく、感謝や決意も伝えています。
お墓の前に立つと、自分は一人の力だけで生きてきたのではないことを思い出します。
命が受け継がれ、自分が今ここにいる。
そして、自分の人生にも限りがある。
お墓参りは、ご先祖様に願いを叶えてもらうためだけではなく、自分の原点に戻り、これからの生き方を報告する時間なのかもしれません。
東北の夏祭りにも、予祝の心が見える
各地に残る祭りにも、予祝に通じる要素があります。
東北の夏祭りには、眠気や邪気を流すもの、災いを追い払うもの、五穀豊穣を願うものなど、さまざまな由来があります。
すべてが予祝というわけではありません。
しかし、秋田竿燈まつりでは、竿燈を稲穂に、提灯を米俵に見立て、秋の豊かな実りを先に目に見える形にしています。
青森ねぶたには、秋の収穫へ向かうために、眠気や穢れを流す意味があります。
東北の夏祭りは、
不要なものを払い、望む未来をみんなで思い描き、地域全体を秋へ向けて再起動する時間
だったのかもしれません。
祭りの仕組みは、コミュニティづくりにも通じる
一人で未来を思い描くのがヴィジュアライゼーションなら、地域のみんなで未来を表現するのが祭りだったとも考えられます。
そこには、現代のコミュニティづくりにも通じるものがあります。
同じ未来を思い描く。
一人ひとりが役割を持つ。
小さな一歩や喜びを分かち合う。
そして、定期的に集まり、進む方向を確かめる。
コミュニティとは、同じ情報を受け取る人の集まりではありません。
同じ未来を思い描き、互いの一歩を祝い合う仲間の集まりです。
人生後半から挑戦する人たちが、それぞれの一歩を報告し、みんなで喜ぶ。
それも、現代の予祝といえるのかもしれません。
私も、自分の未来を先に祝ってみる
私は66歳になった今、AIを学び、stand.fmやSubstackで毎日発信しています。
まだ、大きな成功を手にしたわけではありません。
それでも、私が迎えたい未来を先に言葉にしてみます。
人生後半から始めた私の発信が、誰かの希望になりました。
「もう遅い」と思っていた人が、新しい一歩を踏み出しました。
本当にありがとうございます。
その場面を思い描くと、
「今日も記事を書こう」
「今日も音声を届けよう」
という気持ちが湧いてきます。
最後に、あなたも一年後に実現していたらうれしいことを、一つ思い浮かべてみてください。
「叶いますように」ではなく、
「叶いました。ありがとうございます」
と書きます。
そして、自分に問いかけます。
その未来に近づくために、今日できる最も小さな一歩は何だろう。
予祝は、未来を待つことではありません。
望む未来を先に喜び、その喜びを今日の行動力へ変えることです。
未来を思い描く。
祈りの中で決意を確かめる。
仲間と喜びを分かち合う。
そして、今日も一粒の種をまく。
これが、今を生きる私たちが受け継いでいきたい、日本の祈りの知恵なのだと思います。
――へろっさん
人生後半世代のワクワク挑戦ナビゲーター
日本に受け継がれてきた祈りや祭りの中には、人生後半を前向きに生きるヒントが、まだたくさん眠っています。
このSubstackでは、「日本の叡智」をはじめ、AIへの挑戦、仕事や人生から得た気づきを、66歳の現役サービスマンである私が等身大の言葉でお届けしています。
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こんにちは。予祝という概念は知っていましたが、それが日本文化と特に結びついている部分があると聞いて、いろいろな場面を想像できました。
66歳のへろっさんの予祝が実感がこもっていて素敵です。
私もサブスタックで発信していますので、同じ思いです。